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2008,8,19 本キャンプ
2008,8,17 働く娘
2008,8,15 夏期休業
2008,8,13 淳の初盆
2008,8,11 お盆休み
2008,8,8 ことなかれ主義

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本キャンプ 2008,8,19
今、ガールのうちの団は、御殿場に本キャンプに行っています。
なのに私は、通常通り仕事に行き、こうしてパソで遊んでいます。
ガールの団キャンプに行かない夏は、10年ぶりです。

「子供をガールとかに入れて、キャンプとかに連れて行ってもらおう!」
と思ったモクロミは、速攻崩れ、
どういうわけかリーダーとして、自らが行く羽目になってしまいました。
しかも後半5年は、自分の子供は海外派遣や受験のため、不参加の年も多く、
自分の子供は行かないのに私だけ行く、という、本末転倒な現象になっていました。

ガールのキャンプは、ロッジに泊まるようなキャンプとは全然違います。
防水加工の剥げたテント生活で、4日間髪も洗えません。
水を運び、薪を切って火をおこし、3食自炊です。
想像以上に過酷で、アウトドア大嫌いな私には楽しめるものではありませんでした。

また、スカウトも疲れてくるので、動かすのも苦痛です。
怒ったり、大きな声を出したりとか、本質的にできないので、
ま、いっか、となってしまいます。
もともと、自分の子はおろか、他人の子供まで教育する気はありませんからね。
そしてよく偉い人達におとがめを食らい、悔しい思いをしました。

仕事を調節して、子供を置いて来ているのに、どうして責められたりするんだ?
と、納得できませんでした。
職場にしたって、みんな遊びに行くと思っていますが、遊びとは全然違います。
毎年、キャンプが終わると、ホントにほっとしました。

それが今年は、めでたくお役目返上です。
長女は中学生部門、次女は小学生高学年部門のヤングリーダーとして、
他人の子供達を引率して行きました。
私は10年ぶりに「子供を預けてのんびり」の夢が実現したわけです。

2人とも前夜は完璧徹夜で、準備をしていました。
バスレク、ネイチャーゲームの構成、優勝賞品作り、
ファイヤーの演目の順番、振りと歌の確認、スカウツオウン(儀式)の段取りなどを
自分が小学生だった時の思い出を引き出し、楽しそうに組み立てていきます。
スカウトという絶対の信者を相手に、自分の思い通りの演出ができます。
ガールをやっているうま味は、実は指導者になってからなのでしょう。

ファイヤーだけでも見においでよ!!あ〜〜キャンプ楽しみ〜〜。 
と言って出て行きました。

10年間続いた本キャンプは、ほんと辛いことばかりだったけど、
まあそれはそれで花が開いたんだな、と初めて思えたのでした。


働く娘 2008,8,17
3日間連休が取れたといっても、特に予定もありません。
いつも行っているスポーツクラブも、ちょうどお盆休みです。
オリンピックを見て、掃除するくらいしかすることはありません。

今日は、夫Tが「そうだ、長女の働いているメキシコ料理屋に行こう!」
と提案するので、それも一考か、と、ひさしぶりに自由が丘に行きました。
1987〜1991は元住吉に住んでいたので、当時はよく自由が丘に行ったものです。

自由が丘は良い街です。
学生やマダムが多くて、活気に満ちています。
気軽な雑貨屋やお菓子屋が多くて、楽しい街並です。

私の通った薬大があった岡本も、同じような街でした。
やっぱ大学は、八王子キャンパスとかより、
カルチェラタンらしい街にあるのがよいでしょう。
長女の大学は、自由が丘エリアなので、大満足です。

長女の店は、にぎやかなガーベラ通りからちょっと入った所で、
想像していたより小さなお店でした。

ピンクの壁に白い天井。それが、メキシコ風と言えばメキシコ風なのか??
オーナーは、六本木にも店を持っていて、たまにしか来ないそうです。
シェフは、豚肉を絶対に食べないパキスタン人やバングラデシュ人です。
あとはフリーターで回しているので、結構テキトーなメキシコ料理屋です。

しかしながら、中東系のシェフとハーフ系の長女は、
なかなかメキシコ料理屋らしい雰囲気を出していました。
味も結構いけていて、本場メキシコ仕込みでないところが、
かえって日本人好みに仕上がっていました。

長女は、求人も出ていないのに、雇ってくれ、と願い出て、採用してもらいました。
初めて給料をもらったら、時給¥860で、ぶったまげていました。
ヒマな時はいいけど、忙しい時に寝る時間を削ってまで行くのは、
¥860では、割りに合いません。
でもまあ、そのことに口出しするのは止めときましょう。

長女は、楽しそうに働いていました。
うちらが行ったことを、同僚にも明かさず、
全く他人行儀で、サービスのドリンクも一切ありませんでした。
そして会計は、長女の日給より高額でした。
そしてうちらは、なんとなく満足して帰って来たのでした。

長女よ、その仕事、いつまでするんか知らんけど、
なかなかサマになってたぞ。
まあせいぜい がんばれ!

夏期休業 2008,8,15
さて、お盆休みの世間ですが、ひつじ薬局もやっと15,16,17日と店を閉めます。
ひつじ店長もやっと人並みに休むことが出来、ほっとしています。

8/11〜14日までの4日間は、事務と私1人で店を開けていましたが、大誤算でした。
開店休業で、ハリーポッターを読む予定が、働きに働いた4日間でした。
のんきに休みをとっている従業員を恨むことも出来ません。
気前良く休みをあげた店長の責任です。

テレビでは、帰省ラッシュと言っているし、
ニュータウンにはもう人がいないように見えるんですが、
店を開けているだけで、処方せんが集まって来るんですな。
どこの処方せんというわけでなく、どこからともなく1枚ずつやってきます。
うちが閉まっていたら、どうするつもりだったんだあ?
と、今の医薬分業体制を疑問に思います。

というか、今日は閉めて良かったのか?
今ごろ、シャッターの前で処方せんジプシーが右往左往しているんじゃないか?と心配です。
門前医院が閉まっている場合は薬局も閉めるべし、というのが本社命令ですが、
来年もその判断に従うべきか、悩んでしまいます。

年末年始は医療機関は閉まっていて当然、
と世の中は思っていますが、夏期休暇はどうなんでしょうね?
夏期休暇は、ホームページにも載っていないし、留守番電話にも録音されていません。
患者さんは店の前に来るまで、確認しようがないわけで、
困るのは、処方せんを持った患者さんです。
医薬分業は年々前に進んでいます。
例年と同じように対応していては、時代においていかれます。

日頃、面分業を推進している以上、開けておくのが至上命令なのではないか?
と思ったり、いや、夏期休業はあたりまえ。
ボランティアじゃないんだから、赤字覚悟で開けるわけにはいかない。
患者さんも学習して、開いている時に来てもらいましょう。と思ったり。

休暇明けに、ひつじ隊員や本社に、来年に向けてどういう裁断をくだすか??
と、悩みに悩んでいます。


淳の初盆 2008,8,13
淳の大学友人Yちゃんが連絡をくれました。
「一緒にお線香をあげに行きましょう。」と。
そうでした。今年は淳の初盆でした。淳が帰って来るかも知れません。

>>前に、大学の先輩後輩と、お線香を上げにいきたいと
  お願いしたところ、お母さんに断られてしまいました。
  集英社の方が大挙して押し寄せたため寝込んでしまったそう。
  (40人ぐらい来たらしいです…なんとも…)
  …なので、遺骨にお線香もあげずに、今に至ってます。

おお、その日は、私達家族も押しかけた日です。
「さっきまで集英社の方たちが来ていて」と言っていました。
そのあと、お母さんが寝込んでしまったとは、知りませんでした。
私達のせいで、お母さんが寝込み、そのとばっちりで、
今だに淳の遺骨に会っていない親友がいるなんて、想像もしていませんでした。
自分のことしか考えていなくて、申し訳なかったです。

「お盆に是非行きましょう」と、Yちゃんに合意し、
淳のお母さんに電話してみました。
しかしながら、淳のお母さんは、
「私、ウツになってしまったの。」と弱々しい声で言います。
ろれつが回らない、足が前に出ない、
お料理もする気ない、お化粧もする気にならない、
状態だそうで、とても人をお招きできない、とのこと。

淳と一緒に戦って来たお母さんの悲しみや疲れは、
ウツになってもしかたないほどのものだったでしょう。
それはそうでしょう。
でも私達を、お招きなんてしなくていいんです。
お寺でもお墓でもいいから、なんとか、初盆にお線香をあげる手段をください。
とすがりたかったですが、何も言えませんでした。
納骨もまだ済んでいないとのことだったので、無理でしょう。

今回断られたので、もう淳の実家へは行けない、ということが解りました。
淳は死後、すっかりひきこもってしまいました。
生前の淳のつきあいの広さから考えると、意外な展開です。
それは淳の考えなのか?お母さんの考えなのか?
兄弟ともに結婚していないことといい、
本質的には1人でいたい人達だったのかもしれません。
私は淳の何を知っていたのかな?と、疑問にさえ思えます。



淳よ、今日帰ってきてるのか?
だったら、ちょっとうちにも寄ってくれよ。
お線香炊いて合図するから、迷子になるなよ。

お盆休み 2008,8,11
調剤薬局稼業は、年末年始とお盆休みは、勝手に決定できません。
医院の休みが発表になったら、薬局の休みはそれに準じて決まります。
そしてドクターは、自分が遊ぶことしか考えていないので、
勝手に世間とずらして休んだりします。

通常、長期休暇前は患者さんが押しかけますが、休暇明けは、すいています。
だから薬局のほうも、休み前は万全の体制で迎え撃ちます。
旅行に行くなら、8/10より前は、大手を振っては出かけられません。

去年のお盆休みは、ひつじ薬局が抱える内科、整形、耳鼻科とも
8/12〜19までばっちりお休みでした。
今年は??というと、内科、整形ともが8/10〜19の休みを提示したにも関わらず、
耳鼻科は8/15〜8/22。

おいおい、なんでだ??ずれてるやんか〜〜。
しかもこの耳鼻科、隣のビルにあって、
ひつじ薬局とは何の利害関係もない医院です。
門前薬局も持たないで、勝手に処方せんを出している医院なのです。
もう耳鼻科なんか、ほっとくか?と思えども、半径1km内に調剤薬局はありません。
どう見ても、うちが門前薬局ってことになるのです。
だからやっぱ、薬局も開けるしかありません。

しかしながら、このアレルギーの谷間の時期、来たとしてもせいぜい20枚です。
薬剤師1人アタマ30枚ですから、事務1人と薬剤師2人勤務すれば、大赤字です。
開けるなら、禁断の1人薬剤師で行くしかないでしょう。
しかし1人薬剤師は、ひつじ薬局開局以来、したことがありません。
2重のチェックができないので、ひつじさんたちは拒否するでしょう。
となると???そうです、店長自らがやるしかないのです。

そんな悲しいいきさつで、ひつじさん達は今週はバカンスを楽しんでいますが、
私1人と事務さん交替1人で、木曜日までひつじ薬局は営業しています。
今日は、ひまつぶしにハリーポッターを読もうと持って行きましたが、甘かった。
耳鼻科は9枚しか来ませんでしたが、どこからともなく処方せんが24枚流れて来て、
しっかり1日働きました。

とほほ。つくづく店長はつらい身分です。
木曜日まであと3日!がんばれ、自分!!
ひとり薬剤師でも、ミスするな!!

ことなかれ主義 2008,8,8
ひつじ薬局をまとめるひつじ隊長が今の私の役職です。
ひつじ隊長はひつじさん達の扱いに困って、たまに落ち込むことがあります。
それは、前線に出て、戦いを余儀なくさせられることです。

いつもひつじ隊長には、戦闘意欲がまったくありません。
ひつじ隊長も、それなりの手当をもらっているのですが、戦うのはイヤなのです。
そもそも始めから、仕事ごときに怒りが湧きません。
そんなもん、自分の財布で商売しているわけでなし、
思い通りにいきまいが、損をしようが、どうでもいいのです。
廃棄が増えようが、業績が悪化しようが、どうってことはありません。
平和に暮らせれば、それでいいのです。

もちろん、ひつじ隊長のそういう姿勢は、よろしくありません。
「へ〜、それでいいんだあ」とひつじさん達の愛社精神に水を差してしまいます。
でも、前線に押し出されて戦うのは、私は本当にイヤなのです。
こういう時、つくづく自分は、主婦でパート上がりだなあ、と思い知ります。
常に正社員として生きているひつじさんたちの勤勉さや意欲には叶いません。

しかしながら、ひつじさん達がしばしば
「ナメられたらダメ」という言葉を発するのには、驚きました。
その言葉は、私はあまり使ったことがありません。
ナメられたからどうなんだ?と、思います。
ナメられて結構、バカにされて結構、戦うよりまし、
というのが私のスタイルです。

今までそうして生きて来ました。
東京に来て、ナメられっぱなしの20年ですが、だからどう、ってこともありません。
子供にもナメられっぱなしですが、勝手に育ちました。
ひつじさんたちからもナメられてますが、みんな優秀なので、よくやってくれます。

ナメられたって、案外実害はないものです。
平和に暮らせればそれでいいのです。
わたしゃ、お気楽な人生で、たいしたプライドもない人間なんでしょう。
人にナメられたって、全然平気です。
まあ、それが私の長所でもあり、短所なのでしょう。

温暖なひつじ牧場とはいえ、それぞれが育って来たフィールドが違うので、
ちょっとしたトラブルから身を守るスタイルも全然違います。
それを代表して行動するのは、なかなか面倒なことです。

地元の花火大会 2008,8,6
昨日は、地元の花火大会でした。
第4回せいせき多摩川花火大会。ん??第4回か??と思って調べると、
昔のは、多摩川関戸花火大会だったようです。
6年前に、大雨の中、花火師が多摩川の中州に取り残され、
ヘリコプターで救助され、大騒ぎになりました。
そのため、多摩川関戸花火大会は、取りやめになったそうです。

まあそれは記憶に新しいのですが、
その後、市民の要望で新たに実行委員会が立ち上がり、
せいせき多摩川花火大会として復活したそうです。

さて当日は、仕事もあるし、今年も行けないだろう、と思っていたら、
百草園に住む長女の友達の母Kが誘ってくれました。
「子供達と4人で花火に行こう!」と。うれしいじゃありませんか。
子供が21歳になって、まだママ友ができるなんてね。
やっぱ子供あっての人脈です。

誘われたら、なんとかして行くのが仁義。
ここは一発、店長権限をふりかざすっきゃありません。
「今日は6時に帰るから。よろしく。」と拝み倒し、早退することにしました。

ところが。。。12時過ぎたら、都心でゲリラ雨が降ったようで、
マンホール内で人が流された事故がおきています。
床下浸水などもおきていますが、地元はたいした雨ではありません。
Kに聞くと「大丈夫、屋台も出だしたよ。」とのこと。

しかしながら、5時に中止が決まりました。
あ〜〜ん。今年最大のイベントだったのに、ぐやじい〜〜。
ずっといい天気だったのに、どうして川が増水するような雨が降るかなあ。
ど〜〜ん、ぱ〜〜ん、と夏の夜空に花開いて欲しかったよ〜〜。

でも、悔しいのは私だけではないでしょう。
Kが場所取りに行くと、屋台ではすでにイカなどを焼き始めていたそうです。
電車にも浴衣を着た子がたくさんいました。
多摩市の血税¥1000万や企業の協賛、有料席の払い戻しなど考えると、
ほんと実行委員会は涙でしょう。

うちらは、家飲みとなりました。それはそれで、ゆっくり話せて良かったです。
人が集まる口実を作ってくれたわけだから、
中止となっても、花火大会の使命は果たせているのかもしれません。
地元の花火大会は、やっぱ有意義なものです。
来年は、ぜひともリベンジして欲しいです。

八王子まつり 2008,8,3
もう8月ですか。あんまり8月という実感はしませんね。
今年は、そんなに暑くないんじゃないですか?
何故かまだ、冷房をつけて寝たことがありません。
夜になると、結構涼しい風が吹いて来るんですよね。

うちは4人とも昼間中冷やされているので、夜はちょっと解凍されたい、
というのもあるし、4人とも疲れているので、良く眠れているからかもしれません。
特に苦情もなく、自然の風で寝ています。

あんまり暑くないのも、夏らしくなくてよろしくありませんが、
やはり、海や山に行かないのが夏らしくないのです。
子供が遊んでくれない、というのは、ほんとに寂しいものです。
去年まではガールで夏らしいことをしていたのが、
今年はそれさえもありませんからね。
それでちょっとは夏らしいことをしよう!!と奮起し、
今日は、夫Tを誘って、八王子まつりなるものに行くことにしました。

「へ〜〜。今さら?」と娘達。奴らは生粋の原住民なので、
何度も行っているそうです。私達はもちろん、行ったことありません。
どう?と聞くと、「普通〜。」
だよな〜〜。八王子っ子だもんな〜〜。地元が基本だよな〜〜。
うちらは、祇園祭には何度も行ったけど、八王子祭りは行ったことがない。
やっぱ親子といえども、遠い存在です。

で、暑い中、行って来ました。
さすがに暑いので、夏だな、と実感できました。
八王子祭りは、山車や神輿が練り歩き、なかなか活気があってよろしかったです。
かなりの人出だったけど、祇園祭ほどは混雑してなかったのも、よろしかったです。
お囃子の競演を聞いて、夏という感じがしてきました。

でもまあ、お祭りなんざ、出て楽しんでなんぼ、ですよね。
見るだけではねえ。温度差がありすぎます。
うちらニュータウン育ちで根無し草には、大切にして守っていくお祭りなんか、
縁がないわけで。
ああいうのに参加できる人達が、うらましくなりました。

あ、そっか!私にはハロウィーンがあるかあ!
なんだ、うらやむことはないんだ。
ハロウィーン、秋まで待ってろよ〜〜。今年も楽しむよ〜〜。

2008,8,1
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つのなんやかや


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